プロフィール

1959年 北海道深川市多度志町に生まれる。教員をしていた父の転勤でその後月形町、長沼町に移住◆1972年 長沼町立長沼中央小学校を卒業◆1975年 長沼町立中央長沼中学校を卒業。父のすすめで地元の高校に入学。部活動(テニス部)に明け暮れる日々を送る。高校3年の時有珠山が噴火◆1978年 北海道長沼高等学校を卒業。大学受験に失敗し浪人◆1979年 北海道教育大学札幌校入学。物理学科を希望していたが、新入生ガイダンスでおもしろい先輩の影響を受け地学を専攻。化石研究の道へ。卒論では北広島市で発見されたカイギュウ化石に取り組む◆1984年 卒論を深めるため卒業を1年延ばし(本当は教員採用に落ちたため)この年5年目で卒業。北見市立高栄中学校に新米理科教師として勤務。生徒数1000人を超すマンモス校で、校内暴力で荒れていた。20代のやる気あふれる教師集団と出会い民青同盟に加盟する◆1985年 同じ理科担当だった共産党員の教師の誘いを受け入党◆1986年 大学時代から付き合っていた女性と結婚。同じく教員だった妻と同時に網走市に転勤。網走市立第4中学校に勤務◆1987年 長女が誕生◆1989年 父が癌のため58歳で死去。担当医からは癌の体質は遺伝すると釘を刺される◆1990年 次女誕生◆1993年 一家そろって十勝の浦幌町に移住。浜の漁師町で浦幌町立厚内中学校に勤務◆1995年 結婚10年目を記念して夫婦でボルネオ島での皆既日食観察ツアーに参加。特大のダイヤモンドリングを贈る◆1998年 大学で化石の道へと誘ってくれた先輩が札幌市に異動するのを機に、後任として沼田町教育委員会の学芸員として招かれる◆2001年 学校現場に復帰。深川市立納内小学校で初めての小学校教員となる。しかも2年生担任◆2004年 沼田町化石館の学芸員として復職。これを機に教員は正式に退職◆2010年 沼田町化石館の館長に就任◆2014年 自身が原作を書きプロの脚本家や演出家に援助をいただきミュージカル「沼田化石物語」を沼田町民会館において上演。翌年、札幌市において再演◆2019年 前沼田町議の勇退を機に党より出馬の要請を受ける。3月議会終了後に定年まで1年を残して退職し立起表明。無投票当選で町議会議員となる。議会での役職は議員会副会長、広報特別委員会副委員長、産業福祉常任委員会所属◆2023年 2期目の町議会議員選挙に挑戦することを決意。再び無投票当選となる。広報特別委員会委員長、議会運営委員会副委員長、総務民教建設常任委員会副委員長を務める◆日常では妻は再任用で教員を続け、自分は炊事以外の家事全般を受け持つ◆過去には数多くの動物たちと生活したが、現在はネコ2匹◆理科教育と化石の世界には今も関係を持ち続け、北海道の合同教育研究会理科分科会司会者を務める。学会は、科学教育研究協議会、日本古生物学会、化石研究会、地学団体研究会、日本地質学会会員◆自宅裏の空き地に災害時の避難場所を兼ねたソーラーパネル付きの小屋を置き、「Plio古生物研究所」と称して活用中